2002年当時のサイバーテックは、現在の事業内容(2024年10月時点)となる「マニュアルDX事業」「Web CMS事業」「開発・制作支援事業」という、ソフトウェア製品とBPO・ITサービスの提供とは様相とはかなり異なっていました。どのような事をしていたのかというと、当時は非常に目新しい存在であった、XML技術を帳票ソリューションやデータ連携システム(EAI/EDI)などに応用したシステムの受託開発や、XMLデータベース(eXcelon)やオブジェクト指向データベース(ObjectStore)といった特殊なDBMSを中心としたシステム開発を、主にSIベンダー(システムインテグレータ)から受託する、というものが大半でした。それらの開発には先進性が求められ、かつしっかりとしたオブジェクト指向の概念も必要であったため、単にJavaやC++といった言語的な知識だけでは難しいプロジェクトばかりでした。そのような事業体で重要になるのは「エンジニアのスキル・人数・単価」となりますが、そういったプロジェクトに携わることができるエンジニアはなかなか少なかったので、事業を拡大するために必要な「人数」を増やすことがなかなかできずにいました。
そのような悩みを抱えている折、海外でエンジニアを採用する方法がある、という事をききました。きっかけは、たまたま縁故ベースで、日本企業向けにオフショア開発を実施している上海の企業が2社あり、日本のベンダーを紹介してほしい、という話が出てきたためです。
当時はまだ「オフショア開発」という言葉はあまりメジャーではなく、ちらほらと出ていたぐらいでした。日本では、エリートは医者や弁護士を目指すというのが通常ですが、新興国のエリートはエンジニアを目指す傾向にある、という事は色々なところから聞いていました。ただし評判は芳しくなく、イメージ的には失敗プロジェクトが多発しているという話が多く、「安かろう・悪かろう」という印象が大半だったと思います。しかしながら、サイバーテックは当時、色々な事にチャレンジしていた時期でもあり、かつ国内ではなかなか難しい、ハイスペックのエンジニアが海外にいるのでは、という可能性も含め、まずは一度お話をうかがい、検討をすることにしました。
すぐに2社のオフショア会社の社長と日本でお会いしましたが、どちらも上海の現地にある中国人資本の会社であり、社長も中国人でした。ただどちらの社長とも、日本にエンジニアとして長期滞在していたことがあり、日本の文化も理解していました。日本語に関していえば、一部たどたどしい部分はありましたが、営業のような業務を行ってもらうわけではなく、エンジニア同士できちんと意思疎通が出来れば問題はないため、そういった観点では、しっかりとコミュニケーションできるレベルでした。何よりも魅力的なのは、その単価です。日本でなかなかアサインすることが出来ない、オブジェクト指向の概念もしっかりと持ち、かつJavaやVC++でプログラムを組むことができるエンジニアを人月25万円前後で用意することが可能とのこと。ただしそれらのエンジニアは日本語が分からないので、言葉の壁を解消する方法としては、技術もわかり、かつ日本語と中国語との橋渡しをする、ブリッジエンジニアリングを実施するので、プロジェクト運営上も全く問題は無い、という話でした。
それらの話が全て本当であれば、事業を拡大する上で、大きなアシストになることは間違いありません。大きな可能性を感じ、かつどちらの会社の社長も、上海への渡航をしきりに勧めるため、まずは現地の状況を見学する目的で、急ぎ中国に渡航することにしました。
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